2013.12.12
-第418章(2)-あらかじめ失われていたもの(続き)
結局のところ、
その質問は、
口にすることができなかった。
マミィにも
おかあさんにも、
あまりにも重い質問のようで。
ただ、
こんな話を
繰り返ししていた。
マミィがまだ
よちよち歩きの頃、
デパートに行き、
おかあさんが
「これ、見せてください」
と言おうすると、
店員さんが一人もいない。
見回すと、
トコトコと
どこにでも行ってしまう
マミィの周りにみんな集まって、
きゃいきゃいと
夢中になっている。
いつも
マミィの周りに、
人が集まる。
おかあさんが
小さなマミィを
連れて歩いていると、
すれ違う人たちが必ず
「あら、可愛い」
と言って振り返る。
それが楽しくて、
買う物があるわけでもないのに、
近所のデパートに
よく連れて出かけた…と。
そうか、
自分が生まれたことで、
少しは
楽しい思いをしたんだ…
と、それを聞いて、
マミィは
少しだけ、
ほっとしたのだった。

ぼくの あひるちゃん
そして、ある時から
わかってきたことがある。
なぜ、
小さかった頃、
お母さんが苦手だったのか。
そう、
マミィは時々、
思っていたのだ。
「なぜ、この人が
私のおかあさんなのだろう。
本当のお母さんという人が
どこかにいて、
いつか、私を
迎えに来てくれればいいのに」
と。
もちろん、それは
本当に小さかった頃で、
大きくなるにつれて
そんな事は考えなくなったが。
恐らく、お母さんは
いつも気持ちが不安定で、
きっと
子どもを慈しむような余裕は
なかったのだろう。
小さかった頃には、
繰り返し、
その存在価値を
否定されるような言葉を
ぶつけられていたように、
思う。
だから、
マミィは
お母さんと一緒にいるよりも、
一人でいることを好んだ。
そういう娘は、
なおさらに
可愛くなかったかもしれない。

あっ、つい…
キバが出ちゃった…
思春期の頃、
マミィにとって、
この世は
とても
生きにくいところだった。
本当は一段一段
少しずつ、ゆっくりと
成長していくはずなのに、
どこかで階段を飛ばしている。
本来ならば、
しっかりと段階を踏んで
培わなければならない何かを
培っていない。
そう感じることが
よくあった。
そして、
発達心理学を学んだ時に、
気づいた。
生まれた頃に
不安定な精神状態だったお母さん、
マミィが育っていく過程でも、
常に
苛立っていたお母さんとの間で、
人間関係が
築けていなかったのだと。
人としての最初の段階で、
築くべき第1番目の人と
人間関係を築くことを
学べなかったのだ。
そして、
胎内にいた時に、
母親に
命を拒否され続けたことや、
胎内で絶えず
ストレス物質に
さらされ続けたたことも、
何らかの
影響があるのかもしれない。
マミィが
初めての子である
ゆりたんを育てている時、
泣いているゆりたんを
抱いてあやしていると、
お母さんが言った。
「仕事をしているのに、
抱き癖をつけてしまうと、
大変だよ。
あまり抱かない方がいい」
「大丈夫。
抱き癖なんてつかないから」
と、マミィは答えた。
そう、抱き癖なんて、
つかない。
子どもを十分に抱くことは、
大切なことなのだ。
そして、思った。
自分は
もしかしたら、
十分に
抱いてもらえなかったのかもしれない
と。
だから、
今でも、
スキンシップが苦手なんだ
と。
そうやって、
人と関わっていくのが
ひどく苦手な子どもが
できあがっていった。
To be continued…
(スミマセン、さらに続きます)
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その質問は、
口にすることができなかった。
マミィにも
おかあさんにも、
あまりにも重い質問のようで。
ただ、
こんな話を
繰り返ししていた。
マミィがまだ
よちよち歩きの頃、
デパートに行き、
おかあさんが
「これ、見せてください」
と言おうすると、
店員さんが一人もいない。
見回すと、
トコトコと
どこにでも行ってしまう
マミィの周りにみんな集まって、
きゃいきゃいと
夢中になっている。
いつも
マミィの周りに、
人が集まる。
おかあさんが
小さなマミィを
連れて歩いていると、
すれ違う人たちが必ず
「あら、可愛い」
と言って振り返る。
それが楽しくて、
買う物があるわけでもないのに、
近所のデパートに
よく連れて出かけた…と。
そうか、
自分が生まれたことで、
少しは
楽しい思いをしたんだ…
と、それを聞いて、
マミィは
少しだけ、
ほっとしたのだった。

ぼくの あひるちゃん
そして、ある時から
わかってきたことがある。
なぜ、
小さかった頃、
お母さんが苦手だったのか。
そう、
マミィは時々、
思っていたのだ。
「なぜ、この人が
私のおかあさんなのだろう。
本当のお母さんという人が
どこかにいて、
いつか、私を
迎えに来てくれればいいのに」
と。
もちろん、それは
本当に小さかった頃で、
大きくなるにつれて
そんな事は考えなくなったが。
恐らく、お母さんは
いつも気持ちが不安定で、
きっと
子どもを慈しむような余裕は
なかったのだろう。
小さかった頃には、
繰り返し、
その存在価値を
否定されるような言葉を
ぶつけられていたように、
思う。
だから、
マミィは
お母さんと一緒にいるよりも、
一人でいることを好んだ。
そういう娘は、
なおさらに
可愛くなかったかもしれない。

あっ、つい…
キバが出ちゃった…
思春期の頃、
マミィにとって、
この世は
とても
生きにくいところだった。
本当は一段一段
少しずつ、ゆっくりと
成長していくはずなのに、
どこかで階段を飛ばしている。
本来ならば、
しっかりと段階を踏んで
培わなければならない何かを
培っていない。
そう感じることが
よくあった。
そして、
発達心理学を学んだ時に、
気づいた。
生まれた頃に
不安定な精神状態だったお母さん、
マミィが育っていく過程でも、
常に
苛立っていたお母さんとの間で、
人間関係が
築けていなかったのだと。
人としての最初の段階で、
築くべき第1番目の人と
人間関係を築くことを
学べなかったのだ。
そして、
胎内にいた時に、
母親に
命を拒否され続けたことや、
胎内で絶えず
ストレス物質に
さらされ続けたたことも、
何らかの
影響があるのかもしれない。
マミィが
初めての子である
ゆりたんを育てている時、
泣いているゆりたんを
抱いてあやしていると、
お母さんが言った。
「仕事をしているのに、
抱き癖をつけてしまうと、
大変だよ。
あまり抱かない方がいい」
「大丈夫。
抱き癖なんてつかないから」
と、マミィは答えた。
そう、抱き癖なんて、
つかない。
子どもを十分に抱くことは、
大切なことなのだ。
そして、思った。
自分は
もしかしたら、
十分に
抱いてもらえなかったのかもしれない
と。
だから、
今でも、
スキンシップが苦手なんだ
と。
そうやって、
人と関わっていくのが
ひどく苦手な子どもが
できあがっていった。
To be continued…
(スミマセン、さらに続きます)
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